2018.6.25 (テスト記事)県中地方のご紹介です

(テスト記事) 郡山市は、福島県中通り中部に位置する街です。江戸時代には奥州街道の宿場町でしたが、郡山市の発展は明治時代に作られた安積疏水の寄与が大きいです。明治政府が東北地方の開発を実施するその第一号として郡山が選ばれました。

明治政府の「安積開拓」事業は、もともと水利が悪かったこの地に、山を越えて、猪苗代湖から疏水を導き、廃藩置県により職を失った士族を入植させようというものでした。当時約5,000人の町の周辺に、9藩から約500戸、2,000余の人々がやってきました。 この入植の第一陣が久留米藩でした。その後、岡山、土佐、鳥取、松山、米沢の各藩から人々が集まってきました。加えて地域経済に大きな効果をもたらしたのは疏水に伴う水力発電です。紡績工場が多数進出し、鉄道網の拡充とともに近代化が加速されました。高度経済成長期にかけて商工業都市として急速に発達する一方で、人口が急増し、さまざまな人々が集まってきたことから、治安の悪い街「東北のシカゴ」として名前が広がってしまいました。そんな中、郡山でも町内の演芸会などで音楽活動が盛んになり、いつしか音楽が市民の心の拠り所となっていきました。やがて本格的なオーケストラの演奏会を望む市民の機運が高まり、昭和29年にNHK交響楽団公演が開催されました。 その後も合唱、器楽、学校音楽での活動や演奏会、日本最大のロックフェスティバル開催などにより、「東北のシカゴから東北のウィーンへ」としてイメージ改善を進め、平成20年に「音楽都市宣言」を行い、「楽都郡山」をキャッチフレーズに音楽活動が盛んな街として情報発信を行っています。東北にあって、東北の街とは思えない盛り上がりを見せる郡山には、そんな歴史的背景があります。